御神明様を見に行ってきた

突然ですが、皆さんは野田村指定文化財をご存知でしょうか。


野田村で育ってウン十年、私自身が「そんなのあったのか」だったので

これはイカン!!と確認に行くことにしました。




わたし「野田村指定文化財のヒバの木はどこにあるんですか?」

役場のT田さん 「城内公葬地のところの、小さい橋をわたって右のすぐのところだよ」



うちのお墓が城内公葬地(村の唯一のお寺である海蔵院の向こう側に、後から出来た新しい公葬地)だったので、なんとなく場所は分かる。久慈工業高校に向う一直線の道路から右に入ります。


さっそく向ってみたが、教えていただいたほうに道が見あたらない。


ハテ、聞き間違えちゃったかな?と思ってると、
たまたま商工会員でもあるKさんが通りがかったのでお聞きしてみました。

わたし「御神明様のヒバの木ってどこですか?」

Kさん「ああ、すぐそこだよ。一緒に行ってあげようか」

わたし「えっ、いいんですか? すみません・・・」

Kさん「だって、あそこ一人で行くの?」

わたし「? はぁ」

Kさん「その格好か。長靴でないと蚊にかれるぞ」


私はスカート&靴のいでたち。これではまずかったか。



獣道。
夏であることもあってか、草ぼうぼう。





草を掻き分け、ずんずん進むKさん。うう、スカートだとつらい・・・





あった。祠がたくさん





でっかい!! これがヒバの大木、『御神明様』。





確かに一人で来るにはちょっと勇気がいる雰囲気。

昔はこの付近に湧き水があったらしいのですが、今は川の関係でなくなったんだそうです。
今でも旧暦の毎月1日に訪れる方々がいるそうです。

 

御神明様は立派だった

ちなみに、この木はヒバであると書きましたが、学名は「サワラ(椹)」。
成長が遅い木で、一般的に直径1メートルを超すのは珍しいと言います。

樹齢は250年から300年と推定され、胸の高さの直径が1メートルから2メートルもあり、この種においては希少長寿大木として学術的価値が高いのだそうです。


 

歴史上の価値

この木は、江戸中期に創設されたといわれる天照皇大神を祀る「神明様」の神木として、数百年にわたり神道信仰の中で村民に崇められた。
明治時代、愛宕山に神社が健立されるまでは、村の例祭場でもあった。
昭和53年3月17日、野田村指定文化財に指定。


 

見れてよかった


村内有数の古木として、その高潔な姿に多くの村民から愛着される銘木でありますが、いかんせん道が整備されていないし、なかなか若い人は知らないかも・・・。
お盆も来ることですから、お墓参りがてら、家族とまた訪れてみたいです。


ご案内してくれたKさん、ありがとうございました!


場所はこちら

 

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タグ:海蔵院

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※記事の内容は取材当時のもので、最新の情報とは異なる可能性があります。最新情報は直接店舗等にご確認ください。

Comment [1]

No.1

おかげさまでご神木が倒れる前の写真ダウンロードしました。野田村の大きな木や名木を記録しようと思っています。ご神木は二本だったようですがもう一本はすでに残っていませんでしたが、たしか大沢製材所で見かけた丸太ものだと思います。
じつは野田村長からの依頼でご神木の根っこから「ひこばえ」が出ており、その木を保全しています。
一連のブログ見ごたえあり

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