野田村商工会ビフォーアフター

あれから2カ月経ちました。。
量が多いので、今回の記事は職場である、野田村商工会だけ。


職業柄「なにかあったら写真を撮る!」んだったんですが、このときはあんまり撮りませんでした。

撮る余裕もあまりなかったですし、撮る気になりませんでした。でもそこはさすが局長、しっかり記録写真を撮られておりましたので、ご紹介したいと思います。


商工会玄関

▽3月14日

商工会は道路から少し入るため、メインストリートの道路がなんとか開けられて、さらにがれきを超えていけたのは津波から3日後でした。

しばらくは、がれきの山を乗り越えて入っていき、撤去作業をしていました。



▽復旧作業後


 

入口は重機の力によりすっきり(何週間も経ってからだったでしたが・・・待ち遠しかったです)

 

▽ガラス戸がなくなったため、2階の階段前に仮設ドアを取り付けていただきました

▽無残な姿の商工会カー



1階・事務局

▽3月14日

ここには商工会職員と、観光協会のデスクが7つ並んでいました。

海側の壁はすっかり突き破られ、津波で押し流された木や家の木材や家財が押し寄せ中に入り込んでいます。

(冷蔵庫の中身や通帳、洗濯洗剤、DVD、写真etc)

私の使ってたデスクとパソコンは、結局出てきませんでした。どこへいったんでしょう・・・
 

▽復旧作業後


中はオール手作業。

スコップで重い泥を何度も、何度もかき。水が復旧したあとは水洗い・・・。

ラストスパートは近隣の商工会の皆さん方などから2~3度応援に来ていただき、ここまできれいになりました。ありがとうございます。

補修作業はまだしていません。



1階・事務局その2

▽3月17日

大物を手作業で窓の外へどかしたあとは、泥にまじり黒松?の枝や葉っぱがびっしり。

一見ふかっとして見えるかもしれませんが、例えるなら田んぼの泥。歩くたび足を取られます。一体どっから来たのこの泥は。
 

▽復旧作業後

復旧作業中はたいへん見渡しと風通しの良かった海側ですが、応急処置ということでぴったりとブルーシートを張ってもらいました。暗い・・。もし津波が来ても見えない・・。






1階・相談室
▽3月14日


ここには応接テーブルがありました。
上の方に泥の跡が見えます。本当に1階で無事なのは蛍光灯ぐらい...

▽復旧作業後


ひとまず倉庫にしてます。


1階・女子トイレ

▽3月15日


フラッシュをたいて撮影したものですが、窓の外がぎっしりのため真っ暗でした。
そういえばここの窓は無事でした。男子トイレも窓は無事なんです。さすがトイレ!

▽復旧作業後


なんということでしょう!泥を掻き出し、便器を取り外して洗ったら、水洗トイレも復活しました・・・!
便座はつべたいし、ウォシュレットは使えないですけど、素晴らしいことです!



1階・奥の部屋

▽3月17日


この窓の向こう側に木造の家がありましたが、その家は跡形もなく、代わりに流れ着いたお宅の2階がありました。

▽復旧作業後


外側のがれきは撤去され、窓も打ち付けました。
金庫は業者さんに壊してもらいました。金庫の中にも水が入りました。
この金庫二つだってもんのすごく重いだろうに、部屋の中でもみくちゃになっていました。津波すごい。


2階からの景色 その1

▽3月15日


流されてきた家々。木々。もろもろ。



▽復旧作業後


すっきり・・・。とにかく重機ががんばり大活躍でした。

がれきの上にショベルカーが乗り、原型を留めている家々をくずし、電柱をどかし、木や建材などトラックに積み、集積所へ運ぶ。この作業が何度となく繰り返されました。住宅は、割り箸で作った家かというぐらいくしゃっと壊されてました。重機すごい。


2階からの景色 その2

▽3月15日


押し流されながらも2階は無事というお宅もあったでしょうが、相当危ない思いをしないと取りに行けなかったでしょう。この家々の中に取り残された方がいないかどうか、震災後すぐに自衛隊の皆さんが捜索され、いない場合は大きく「OK」と赤いスプレーでサインされました。

▽復旧作業後


重機で取れない小物は、人の手での撤去作業になるんでしょうか・・・・。
今は、家の土台などの撤去も始まっています。

▽昨日は外側の泥かき(もう泥じゃないですが)を、災害ボランティアの方にも手伝っていただきました。

大人数でとても早く、とてもきれいになりました!ありがとうございます・・・!


 

皆さん、慣れない重労働と、日に日に募る疲労に耐え、地道に地道に作業してここまできれいになりました。家族のフォローがあってこそがんばれました。

「地震が来たら、今度こそすぐに逃げましょうね」


(注)局長含む商工会職員3名は、窓から津波で家が流されてくるのを見てから走って逃げたため「商工会は最後に愛宕神社の階段を上った」と言い伝えられています。(ちなみに私は海に近い保育所に娘を迎えに行くためすぐ早退し、高台へ避難していました・・)
 

毎日眺めているこの眺め、3年後にはどうなっているでしょう。

地震探知機(電気のヒモがわり)


 

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(haru)

・野田村では災害義援金を受け付けています
・野田村役場公式ホームページ(災害・復旧・生活・ボランティアなどの情報はこちら)



タグ:震災と復興, 野田村商工会

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