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先日「西行屋敷跡」についてお問合せいただきました! ありがとうございます! 野田村玉川地区、玉川海岸(玉川漁港)のすぐ近くにある「西行屋敷跡」。 古くから歌に詠まれた名所「野田の玉川」(歌枕)は、全国に候補地が複数あります。 野田村の玉川もその一つで、玉川海岸には当地を訪れた歌人・西行(1118-90)の庵があった伝えられる場所があり、美しい景観が魅力です。 ここは野田村観光パンフにも掲載されている観光スポットの一つ。 玉川漁港まで来たらこの周辺でお車を停めて、徒歩で上がりましょう 徒歩でちょこっと上がると、左手に神社がありますねー。 木々に囲まれ、波の音がする、すてきな雰囲気のところです!! 「玉川神社」といって、月夜見尊(つくよみのみこと)を祭っているそうです。 そして右手には、玉川海岸が広がります。 いい眺め!! ちなみにここ玉川海岸に流れ込む「玉川」という河川もあります 西行法師(さいぎょうほうし)は鎌倉武士でしたが、23歳で出家し、諸国を遊行。 天性の才能を謳われた、漂泊の歌人。花や月をこよなく愛した平安末期の大歌人で、後世にも多くの影響を与えた美しい和歌をたくさん残しました。 『百人一首』のお1人でもありますよ! (興味のある方はもう少し詳しく書いた過去記事をご覧ください!!) そして、小高い丘の上にはこのように 歌枕「野田の玉川」に関係する句碑が建てられています。 が.... けっこう高い場所なんですが、津波で石が倒れています(-д-;) 「西行屋敷跡」の碑石がぁ~・・・ 人の手で動かすのは無理(;´Д`A こちらの句碑は台座にくっついていたらしく、無事 でも足元に丸い石がごろん 看板もちょっと残念なかんじに 復旧予定はありますが、まだ先送りようです。 港や道路の復旧工事が先ですから仕方ありませんね~ このような高い場所であっても、このような重い石であっても倒されてしまった 津波の恐ろしさを感じるのもジオ(lll´+д+)っ そして西行法師だけではなく 遠い昔から、たくさんの人がこの玉川海岸の景色を見て心洗われた そんな先人の想いを感じながらご覧いただくのもロマン∩(´∀`∩)★ あなたもすてきな秋の旅をお楽しみください。 -スポットデータ- 西行屋敷跡(さいぎょうやしきあと) 〔アクセス〕道の駅のだ(三陸鉄道北リアス線 陸中野田駅)から車で約5.4km、約10分 ※交通機関でおいでになる場合は、三陸鉄道北リアス線「野田玉川」駅を下り、海の方へ降りる道路を下り右手に進んでください。徒歩6分で玉川漁港に着きますので、右手の坂を登ると、右手に西行屋敷跡となります。 [#PARTS|USER|81447#] (ハル) 【関連記事】 西行法師の見た景色を想う - 2010/5/25 ◆もっと岩手県ブログが読みたい方は 《人気ブログランキング・岩手》 へどうぞ~ »野田村観光協会 »野田村役場公式 »のだ村に暮らすのだ!...
野田村の玉川漁港近くにある、西行屋敷跡(さいぎょうやしきあと)。 かの西行法師が、玉川海岸の美しさに、しばし庵を結んだとされる場所・・・とあります。 (ちなみに「庵を結ぶ」というのは、お坊さんなどが、庵(小屋のようなもの)を建て、俗世と離れて暮らすといった意味) 「かの西行」・・・とかいっても、知らんという人もいるでしょう。 (すみません、私がよく知りませんでした..) 西行法師(1118~1190)、本名を佐藤 義清(のりきよ)といいます。 鳥羽院につかえる武士 ↓ 二十三歳で出家して僧侶に ↓ 全国各地へ旅を続ける歌人に 生命を深く見つめ、花や月をこよなく愛した平安末期の大歌人で、『新古今和歌集』には最多の94首が入選しています。 宮廷を舞台に活躍した歌人ではなく、陸奥(東北地方)や四国・中国などを旅して山里の庵の孤独な暮らしの中から歌を詠んだそうです。 ちなみに皆さんご存知の「百人一首」の中にも、西行の歌があります。 西行はお坊さんでしたが、月や花を好んで歌に詠み、さらに恋歌が多いことで知られているとか。 さらには文武両道で美形だったという記述もあります。(何っ!) 武士から僧侶、エリートコースを捨てて出家・・・報われぬ恋をして(←想像)全国各地を旅をして様々な人に会い、時にはその土地で庵を結び・・・歌を詠み・・・ なんか大河ドラマあたりにしたら面白そうじゃないですか。絵的に地味でしょうか。 西行さんを調べるだけでも楽しそう →ウィキペディアでも詳しい この西行法師が、文永二年(1186年)、天才・能因の跡を慕って、 みちのくの旅にも出たといわれています。 その中で、「みちのくの野田の玉川」へ来たと記載している資料があるそうです。 ここに『村の歴史文化手帳』というのがあります。 野田村村誌の副本の位置付けで編集されたもので、 初版は昭和58年、発行は野田村・編著は野田村教育委員会。 「野田村に関する既刊はもとより、巷に伝わる伝説異説と思われるものも収集して納めた」とあります。 そのうちの『野田玉川と西行屋敷』より、資料からの引用です。 ―むかし(西行)は万丈の塵世(名利)をしりぞけて、この千鳥玉川のみぎわに来て庵を結んだ。 玉川の浜は、これを継ぐほどのものがない格調の高い、絶世の風光の地で、その松風の音、波のひびきは、たた、この秋をかなしませる。(野田村発行・『村の歴史文化手帳』より) しかし、この話には問題がありまして。。 それは、全国各地にある野田の玉川のうち、“どこの”野田の玉川かが不明なこと・・。 そのため、昔からお互い「みちのくの野田の玉川」を主張していたりといったことがあるんだそうです。 現地を調査し、こっちがそれっぽい、いやそっちの県のが他の資料も照らし合わせるとこうだ・・ そんな話は、野田の玉川に限らず星の数ほど(?)あるそうですが・・・ この件について、『村の歴史文化手帳』の中でも解説しています。 そして最後の締めくくりに、以下のようにつづっています。 ―右のような資料でも、「みちのくの野田の玉川」を、わが野田村とする根拠は充分でない。 しかしそのように長い間先人達が呼び、全くそれにふさわしい場所であることは確かである。 眞偽の決着をつけるよりも、此処にも「みちのくの野田の玉川」があって、旅人や土地の人々の心を慰めて来たということである。(野田村発行・『村の歴史文化手帳』より) そ、そのとおり・・・! 良いこと言います。さすがです。 十府ヶ浦の眺め、玉川海岸の眺めは最高です。素晴らしいです。 その眺めを昔の旅人が見て、今と同じように癒された。 それでいいじゃないか! この著者が言うと説得力があります。 というわけであなたも西行屋敷跡(があったかも)へ行って、 西行や、先人たちに思いを馳せてみませんか。 (上写真:たくさんの人が座ったであろう切り株・・いや株ではないかな・・) ★『村の歴史文化手帳』読んでみたい!という方は野田村役場 総務課にて販売中。 お問い合わせ: 0194-78-2111(野田村役場 総務課 総合政策室) ★西行屋敷跡へのアクセス [#PARTS|USER|24760#] 【お車の場合】 国道45号から、玉川のエネオス近く、パティオ・ムラタ商店さんわきの道路を曲がり(久慈方面からは左折、宮古方面からは右折)、しばらく直進します。 玉川漁港が見えてきますと、左手上に高台が見えるかと思います。 (下写真:漁港が右手に、この上にあがっていく道路が左手にあります。) この坂を下から歩いたとしても2~3分でしょうか。 西行屋敷跡への車での乗り入れはどうかご遠慮くださいませ。 古い木が立ち並ぶ、どことなく現世離れした空間です (haru) »野田村観光協会ウェブサイト...