岩手県花巻市出身の詩人で童話作家の宮沢賢治。
『雨ニモマケズ』『銀河鉄道の夜』『注文の多い料理店』『やまなし』『風の又三郎』『セロ弾きのゴーシュ』『ポラーノの広場』『よだかの星』『グスコーブドリの伝記』など・・・
37年という短い生涯で、理想と現実のせめぎ合いの中、詩や童話など多くの名作を残しました。
大正14年(1925年)1月5日、ちょうど100年前、年明け早々に5日間の三陸小旅行に出ています。
宮沢賢治29歳、『銀河鉄道の夜』を書いた翌年のことです。
ルートについては諸説ありますが、花巻駅から東北本線で北上。種市から冬の浜街道を歩き、詩『異途への出発』を詠んでいます。
異途とは普通と違う道すじのこと、通常の道から外れることや、孤高の道を意味したのかもわかりません。
『異途への出発』には「みんなに義理をかいてまで こんや旅だつこのみちも じつはたゞしいものでなく 誰のためにもならないのだと いままでにしろわかってゐて それでどうにもならないのだ....」と、突然の旅について心象が綴られています。(『春と修羅』より引用)
この極寒の季節、何があって賢治は三陸海岸へ旅立ったのでしょう。
野田村下安家に一泊したという1925年1月6日に書かれた宮沢賢治の詩『暁穹への嫉妬』は、詩集『春と修羅』第二集に収められています。
(冒頭抜粋)薔薇輝石や雪のエッセンスを集めて、ひかりけだかくかゞやきながらその清麗なサファイア風の惑星を溶かさうとするあけがたのそら
冒頭にある「薔薇輝石」から、ばら輝石の産地として名高い野田村を賢治が歩いている時に書いたものと考えられています。
野田村玉川鉱山は“ばら輝石”の日本随一の産地
賢治は星を愛し、また幼少年時代は鉱物採集と植物、昆虫標本作りに熱中し、「石っ子賢さん」と呼ばれるほどでした。
詩で賢治は土星を「清麗なサファイア風の惑星」と称しています。
土星とサファイアの関係は分かりませんが、賢治の好きな土星が見えなくなっていく夜明けの空、暁穹(暁に染まる弓なりの空)へ嫉妬する、恋心にも似た心象を書き綴っています。
2019年に放送されたETV特集ではこれを、1月6日はちょうど七夕から半年でいわば冬の七夕、『暁穹への嫉妬』はサファイア色に光り輝く土星をある想い人に、また半身半馬の怪物ケンタウルスを邪な修羅である自分に重ね合わせた“失恋の歌”である―という解釈を紹介しています。
当時は見えたという土星はすでに沈んでおり当時と同じように見ることはできませんでしたが、土星と向かい合って輝いていたというケンタウルス座の上半身が、南の水平線上にうっすら見えていました。星が輝く漆黒の夜空が水平線から赤く染まっていく様は、まさに嫉妬の色を表しているようにも見えます。
宮沢賢治の幻想性と哲学的な視点と複雑な感情が交錯する美しい作品です。
なお賢治はこの日の夜は野田村下安家に宿泊し(※)、翌日は発動機船で移動、花巻に戻り、5日間の三陸の旅を終えました。
※賢治の残した『文語詩ノート』に「14年 1925 一月 九戸郡行 安家」と記述があり、下安家地区で現在も旅館を営む小野旅館がその場所と推定されている。
なお写真の道は国民宿舎えぼし荘の上から野田村下安家地区へ抜ける道で、「賢治の小径 (こみち)」とも呼ばれています。
まだ国道が通っていない時代の街道で、宮沢賢治はこの道を歩いて降りてゆき小野旅館へ一泊したのかもしれません。
『暁穹への嫉妬』(『春と修羅』より引用)一九二五、一、六、薔薇輝石や雪のエッセンスを集めて、ひかりけだかくかゞやきながらその清麗なサファイア風の惑星を溶かさうとするあけがたのそらさっきはみちは渚をつたひ波もねむたくゆれてゐたとき星はあやしく澄みわたり過冷な天の水そこで青い合図 をいくたびいくつも投げてゐたそれなのにいま(ところがあいつはまん円なもんでリングもあれば月も七っつもってゐる第一あんなもの生きてもゐないしまあ行って見ろごそごそだぞ)と草刈が云ったとしてもぼくがあいつを恋するためにこのうつくしいあけぞらを変な顔して 見てゐることは変らない変らないどこかそんなことなど云はれるといよいよぼくはどうしていゝかわからなくなる……雪をかぶったはひびゃくしんと百の岬がいま明ける万葉風の青海原よ……滅びる鳥の種族のやうに星はもいちどひるがへる
▽参考/ ChatGPTによる現代語訳
※AIによる訳がどれぐらい合っているか分かりませんが、自分の中の参考程度に掲載します。
薔薇輝石や雪のエッセンスを集めながら、
夜明けの空は、光の尊さをたたえて輝いている。
その清らかで美しい、サファイアのような惑星を、
溶かしてしまおうとしているかのように。
さっきまで道は浜辺をたどり、
波は眠たげにゆらゆら揺れていた。
星たちは不思議なくらい澄み渡り、
冷たい天の水の中で、
青い光の合図をいくつも何度も投げかけていた。
でも今では、
(「あいつはただの丸っこい物体で、
リングやら、月が七つも付いてるだけ。
第一、あんなの生き物じゃないし、
まあ、もし行けたとしても、
ゴタゴタしただけの場所さ」)
なんて草刈り作業をしている人が言ったとしても、
ぼくがあの星を恋しく思う気持ちは変わらない。
この美しい夜明けの空を、
どんな顔をして見ていようと、それも変わらない。
だけどそんなことを言われると、
ますますどうしたらいいのか分からなくなるんだ。
……雪をいただいたハイビャクシンの木々、
そして百もの岬がいま明けてゆく。
万葉の時代から吹き続ける風が渡る青い海原よ……
滅びゆく鳥の種族のように、
星たちはもう一度空に翻るのだ。
明け方の星空を見て100年前ここにいたかもしれない賢治に想いを馳せてみるのでした...(-7℃)
タグ:マリンローズパーク野田玉川, 宮沢賢治, 十府ヶ浦, 初日の出, 野田玉川鉱山
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