ちょうど梅雨明け、28度という夏らしい暑さ。サーファーの方もいましたよ
■野田ユースホステルとは
昭和45年に旧玉川小学校が小学校統合により廃校となり、その施設を利用して昭和47年に「野田ユースホステル」として営業を開始。
太平洋の潮騒の聞こえる海べり、哀愁を誘う木造校舎、多くのファンを惹きつけていたそうです。
しかし昭和11年に建設された建物であったことから老朽化が問題になり、村は改築費の予算が取れず、平成5年、惜しまれながらも閉館となりました。
■ユースホステル?
私は、大きくなるまで「ユースホステル」という単語を知りませんでした...。
そもそもは、青少年・少女が、安全に経済的に旅できるよう、簡素な安い宿を提供しようと外国で始まった宿体型なのだそうです。
旅館やホテルは高い、でも野宿するには危ないし・・・。そんな若者が利用できる、気ままな一人旅にピッタリの宿、それがユースホステル。「ユース」は若者ということですが、「ホステル」はホスピタリティー、つまりお互いを思いやり、手厚くもてなすこと、または歓待をする事を言います。
全てのホステルに当てはまるわけではないでしょうが、大体特徴としてはこのような感じらしいです。(間違ってたらスミマセン)
・素泊まりで3千円前後
・基本はセルフサービス
・お食事も出るが、自炊も可。お片付けは自分
・タオルや歯ブラシ、寝巻きなど備品は持ち込み
・寝室は相部屋である(男女分かれて)
野田村ではもう17年も前になくなってしまいましたが、今も全国的に、また世界的にあるものです。
大きい施設のところもあれば、民宿っぽいこじんまりとしたところ、お寺の宿坊を利用したりといったところも。ちなみに野田村は、旧校舎を利用したタイプでした。
相部屋で、一人旅の利用が多いこともあり、談話室でホステラー同士で歓談することが普通にあるそうです。
旅館や民宿では、お食事は同じところとはいえ、ちょっとそういうのはありませんよね・・・。
■気さくな方ばかり!
この日集まった皆様は十数名。50代の男性が中心だったでしょうか。
「初めて来たのは16歳かな。あなたが生まれる前から野田村に来てたんですよ」
「北末さんでジンギスカン買ってきてね」
「何にもないところがいいんだ」
「冬にきて、どこを見に行くわけでもなくコタツに入って過ごしてたよ」
と、皆さん、ニコニコ笑いながら話してくれました。
今なお、毎年野田村の国民宿舎えぼし荘や、玉川野営場を利用しているという方も。
第二の故郷としてこの野田村を慕って訪れてくれていた多くのファンのことを思うと、なくなってしまったのはとても寂しいことだったろうなと切なくなります・・・。
でも今もこうして懐かしんで、野田村に来てくれること、
そしてさらに、第二、第三の野田村ファンが増えていること、
とても有難く、嬉しく思います。
観光協会として、いえ野田の地元民としてできることはなにかなぁ・・・。
と考えてしまいました。
ともあれ、皆さん久しぶりに集まって楽しく過ごされたでしょうね!
小田村長を始め野田村民もいらっしゃって、きっと呑んで食べて語っての長い夜だったかと思います。
お邪魔させていただいて、ありがとうございました!
(リンク)
野田ユースホステル 1年1組(ブログ)
野田ユースホステル 1年1組 - 野田YHって
(haru)
»野田村観光協会ウェブサイト
»野田村観光協会ウェブサイト
タグ:国民宿舎えぼし荘
Comments [5]
No.1noda-kankoさん
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>ひろ様★
こんにちは、はじめまして!
ユースホステル時代を知らず良い回答ができないので申し訳ないのですが、今は旧玉川小学校の建物自体もなくなり、更地になっています。
ただ現在も、ブログにありますように野田ユースの会の集まりが玉川で行われていると聞きました。
皆さん年を重ねても、ユース時代の思い出を語らっているのでしょうね。
No.2noda-kankoさん
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>ひろ様☆
お返事おそくなりました、すみません!
玉川の海の音と浜風は、きっと思い出の頃と変わってないんじゃないかなと思います。
いつかぜひ、野田村へお越しくださいませ。
No.3匿名さん
私は45年前に利用させてもらいました
No.4k。伊藤さん
紫色のテントは私のテントです。
女性の方が巣材に来ていたような、、、
No.5匿名さん
ちょうど日航機が落ちた日に泊まったな。その日は何も知らずに寝てしまった。翌日大雨の中神奈川まで帰ったので帰宅するまで事故知らなかった。
翌年もう一回泊まるつもりだったが、行き先を南に変更したのでそれっきり。
クローズは平成5年か。
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