7月17日の岩手日報さんにも掲載されておりましたが
野田村で(またも)遺跡の見学説明会が行われました!
今回は 三陸沿岸道路(復興道路)の工区で発見され、
昨年度から緊急発掘調査が行われていたものです。
ここは『伏津館(ふしつだて/ふづづだて)跡』と言って、
戦国時代の城館跡だとされてます!
で、これがですね・・・・
野田村の観光パンフレットの最終ページにあるマップにも掲載されてるんですよ。
場所は野田村役場から西へ1kmほど。
野田村の観光スポットやお店などが載っている中、
長年野田村に住んでいながら初めて見た「伏津館跡」の文字・・・
フシツダテって一体なに(?_?)と疑問に思っていたところで
(※ちなみに地図中のような石垣はありません)
見学にいってきた次第でございます
それにしても・・・
「もしかして あの上 ですか?」
「ハイ、お水をどうぞー。足元お気を付けてどうぞー」
「・・・」
テントで冷たくて美味しいお水をいただき、水分補給してから気合を入れて登ります。
(見学者の中では若い部類なのに息切れ)
足を滑らせないよう、途中には階段も取り付けられています。
発掘調査の作業をされる皆さんは、いつもここを上り下りされているんですね。ご苦労さまです。。
あ~、久慈工業高校が見えます・・・
標高50メートルぐらい。これは確かに偉い人が建てそうな場所ですね!
山の上は、まさに発掘現場。(こんなに大きい発掘現場に来たのは初めて・・!)
後半は小雨がぱらつきましたが、見学に訪れた住民の皆さんはとても興味深くお話を聞いていらっしゃいました。
今月7日に先駆けて掲載された岩手日報をご覧になった方もおられるのか、久慈市など村外からもいらっしゃってましたよ。
というわけで、文化財専門員の方が詳しく説明してくださいました。
縄文時代と中世の複合遺跡で、調査区で最大の建物跡だそうです。
柱の穴が深い!
あー、そうそう。
生垣のあるお城ではないらしく
そうなると「観光パンフレットの絵はまちがってますね~」ということだそうです(^_^;)
武者走り、土塁、切岸といった敵からの攻撃を防ぐ防御施設も
斜面の土を削り取り、人工的に造られた絶壁を切岸というんですって。
これなら簡単にはのぼれませんね
伏津館跡は文献に登場しないため謎が多いですが
中国製の青磁などの輸入品、花を生ける青銅製の花入や硯(すずり)、
香炉、茶壺などなど雅なものが見つかっているので
この館の主は戦国時代の15世紀にはこの地域を支配していた有力者であったことは疑いないとか!
立派な壺です~
ただ、日用品は一切出土しないそうです。
そしてその場で壊されたような遺物があり、建物自体も数十年しか建っていなかった痕跡があることから、なんらかの理由によって廃絶したものと考えられます。
なるほどなるほど
昨日のNHKニュースでもやっていましたが、
岩手県内では79カ所という遺跡調査区があるそうです。
野田村のように高台団地や道路などの工事現場から見つかっており
沿岸部でこれほど大規模に調査が行われるのは初めてで、
今年度は発掘調査のピークを迎え、たくさんの方が臨時雇用されてるとか。(国の復興予算もあるので)
ただ、残念ながら見つかった遺跡は調査終了後
復興工事のためほぼすべて壊されるそう・・・
岩手県内各所の遺跡調査でも、このような見学説明会が行われるかと思います。
お近くでもしある場合は、ぜひ行ってみることをお勧めしますよ~!
-お問合せ先-
伏津館城跡につきまして、詳しくはこちらをご覧ください!
http://www.echna.ne.jp/~imaibun/chousa/chousa_321fushitsudate.html
(公財)岩手県文化振興事業団 埋蔵文化財センター
TEL:019-638-9001
※伏津館城跡の調査は来月中旬まで行われるそうです。
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