blog_eyecatch.jpg

未来の子どもたちへ!

昨夜の雪で今朝は雪化粧。

いい天気でとっても綺麗ですsun

20180306_IMG_2240.JPG

 

 

今日は、「ほたてんぼうだい」の展望台に出来る『大津波記念碑』の仕上げにあたる、石の敷設作業が行われました。

20180307_IMG_2288.JPG

昭和津浪記念碑の隣に建設されています。どちらも看板も出来たりしてますね

 

寒い中集まってきたのは村内全保育所のかわいい年長児さんたちsign01

20180306_IMG_2243.JPG

まずこれがどのような物か、教えていただきます。

「つなみって知ってるかな」「「「はーい」」」

「7年前に生まれてない人~」「「「はーい」」」

そう・・・東日本大震災は7年前なので、6歳の子たちは震災の後に生まれました。

 

 

そして、この記念碑をデザインされた東京の市浦ハウジング&プランニングさんより、記念碑に込められた意味についての説明がありました。

20180306_IMG_2247.JPG

この石碑は扉のように海に向かって開いた形をしています。これは、

「おかえりなさい」(亡くなった方と心の中でお話する場所。追悼の意味)

「ただいま」(故郷にいつでも帰ってきてくださいという意味)

「いってきます」(明日に向かって一歩ふみだす意味)

という意味を込めたデザインになっていると教えて頂きました。

 

 

この扉をくぐる部分を色とりどりに輝く未来への道をイメージして、園児さんたちに石を置いていただきます。

20180306_IMG_2251.JPG

「ぜひ、今の楽しい気持ちを込めて置いてください」

 

それぞれ思い思いの絵や、自分の名前を書いた石を置いて行きます。

20180306_IMG_2258.JPG

にしても風が強くて超寒い('д'lll)sweat01 でも子どもたちは元気sweat01

20180306_IMG_2265.JPG

石の数は1674個あり、これは震災当時の野田村の全世帯数となっているそうです。ちなみに記念碑の高さが3.11メートルだそうです。へ~。

 

 

というわけで、この後石を固定する作業が行われるなどして、3月11日に記念碑の除幕式が行われます。

 

20180306_IMG_2253.JPG

~二度と村民の命を失わないように~

それは100年先の子どもたちへも悲しい教訓を伝え、未来の命を守りたいという想い。

時代は変わっても、自然の脅威を前にしては人間は無力であることを、決して忘れないでいてほしいです。

20180306_IMG_2281.JPG

大きくなっても忘れないでいてね。

極寒の中、おつかれさまでした~

 


この記事が気になりましたらお気軽にコメントやシェアしていただければ幸いです。
野田村観光協会Facebookページはこちら

タグ:震災と復興

関連する記事

※記事の内容は取材当時のもので、最新の情報とは異なる可能性があります。最新情報は直接店舗等にご確認ください。

コメントする

公開されません

その他の記事

最近の記事から

過去の記事から

このページの上部へ

お知らせ


過去記事

プロフィール

岩手県九戸郡野田村(沿岸北部・三陸・三陸復興国立公園/陸中海岸国立公園・国道45号)の観光・物産・食、村の“ほっ”とな話題などをご紹介するブログです。