十府ヶ浦公園のシバザクラがきれいに咲いてます。
このシバザクラは、復興支援への感謝を込めて第三堤防(盛り土)となっている遊歩道沿いに植えられたもの。
鮮やかなピンク色のラインが美しく浮かび上がってますね~
さてピンク繋がりになるんですが(最近野田村ピンクが流行ってる気がしません?)
少し前に、野田村内8カ所に野田村「温故知新」案内板という立派な看板が設置されました!
これこれ。ピンクと黒の支柱が目印です
看板を見ると、東日本大震災当時の写真と、震災以前の写真の二つが並べられています。
看板は記録・記憶の継承を目的としており、地域の皆さんとのコミュニティづくりや、子どもたちの震災学習へも活用したいとのことです。ガイドへも活用できそうですね!
1.村民広場(役場前村民広場の入り口)
2.県道・村中心部(野田橋のたもと)
このへんは建物が流されなかったライン。
マミーストアーさんはプレハブで営業したり、営業の再開が早かったですよね。大変だったと思います。
3.本町通り(ひだまり公園)
この公園は、もともと個人の家がありました。
右手の呉服屋さんは、被災前とお変わりない場所で営業されています。
4.愛宕参道大鳥居(ねま~る駐車場の左手)
こちらは道路が少し広くなったぐらいなので、比較しやすいです。
ねま~るの建っている場所のあたりには、前田商店さんと、中野輪業さんがありました。
5.旧曲渡橋 付近(曲渡橋公園)
こちらは、道路が少しずれた感じで付け替えられました。
この辺は震災前にはたくさんの家やお店があり、すぐそばに押川内科病院とグループホームがありました。
6.前田小路
ここは役場の周辺ではありますが、目印が無いのでちょっと場所が分かりづらいです。写真と地図をご参考になさってみてください。
この少し先に、当時約90名の園児が通っていた野田保育所がありました。
病院も保育所も、お店や銀行も役場も近く、国道も近くて利便性が良く、この周辺に家を建てる人が多かったのです。
今はすっかり変わりました。
今はすっかり変わりました。
7.横町(田中時計眼鏡店様の前)
ここは道路は変わりないです。商店街の被害や、この県道が通れなくなったことにより、孤立してしまったことが分かります。
8.米田 (十府ヶ浦海岸駅の周辺)
こちらもだいぶ変わりましたね。家々も、木もなくなり、今はがらんとしています。
『
昔の写真を見ると思い出すことは多く悲しいですが、教訓を忘れないために世代を越えて伝え続けたいものですね。
ぜひ現在の街並みと見比べながら散策してみてください。
NTTドコモグループの皆様、どうもありがとうございました!!
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