いいお天気です。
和佐羅比山や、山々の緑が青々と美しい季節。
毎年開催されている「塩の道を歩こう会」も、今年は新型コロナウイルス流行の影響で中止になりました。
さてさて、いつもお世話になっているY田さんに
「三陸沿岸道路工事が入る前に、松鼻街道を一度通ってみたら」
とお聞きし、それは大変だと見に行ってきました。
「三陸沿岸道路工事が入る前に、松鼻街道を一度通ってみたら」
とお聞きし、それは大変だと見に行ってきました。
「松鼻街道」とは聞きなれない名前でしたが、県道・野田山形線沿いにある道です。
野田村はかつて製塩が盛んで、盛岡の方へ牛の背に乗せ運ばれており、その道を「塩の道」と呼ばれていました・・・というのはもうご存じかと思います。
この塩の道が今の県道・野田山形線の脇に残っています。
今工事を行っている三陸沿岸道路が、その松鼻街道を横断することになっているんだとか。
野田山形線。この先ですでに三陸沿岸道路の工事が入っています
民家の脇にある山道
杉の木に囲まれた山道。足元は杉の葉でふかふかです。
この杉の葉を、薪ストーブの火付け材にするそうですね。
日光に当たると、精神の安定に深く関わりのある脳内神経伝達物質である「セロトニン」が増加するそうです。
木々に囲まれ、ふかふかとした草の上を歩くと、ふさぎこんだ気持ちもいつの間にか無くなってきますよね。
あ、長靴で来るべきだったか。
なんだか以前にもこういうことあったような・・。
なんだか以前にもこういうことあったような・・。
普段使用されていない道にしては草木は少ない方だし、時々軽トラが通っているのかもしれません。
もう少し行くと水たまりが。水たまりというより、葦のような植物もあるので湿地なのかな?
はまっても大変なので、木の脇を進みます。
Y田さんが「子ども連れでは難しいだろう」と言ったのはこういうわけですね。
するとすぐ景色が開けて・・・・
あっ、沿岸道だ!!
すご~~い。沿岸道を上から見たの初めて。(ちなみに村内ではいずれも未開通です)
いつも工事をしている下の道路から見上げてばかりでした。
反対側、工業高校が見える。ということはここは以前遺跡の見学説明会に行った伏津山(伏津館)か。
でもこれでは、ここで街道が途切れてしまうことに。道を間違えたかな?
またちょっと戻って・・・
あっ、つい拓けた方へ行ってしまったけれど、左の小道へ行くのだった。
左脇に住宅や保育所など建ち並ぶのを見下ろしながら山道を通ると・・・・・・
道端に松の大木が!
大きい!
手を伸ばして幹のくびれの下にやっと手がつくぐらい。
あ、上の方に松ぼっくりが見えます!
この松の木は、もとは一対の老松であったそうです。
もう1本の松は神木として生き長らえるだろうと言われていたそうですが、敗戦のどさくさ紛れに伐採されてしまったのだそうです。
これらの松の存在が、「松鼻」という地名の由来ではないかと言われているんだとか。
ちなみに先ほど見た伏津山の一番高い山を大森と言って、大森山には、人を化かす怖いキツネがいるという伝説があったそうです。
キツネか分かりませんが、化かされたような話は私も聞いたことがあります。。
松の大木を過ぎると、すぐにお墓が見えてきました。
その墓所を過ぎると、見覚えのある建物が・・・
ここで街道は途切れ、再びもとの県道に出ました。
その当時は立派な裏街道で、重要な役割を果たしたのでは、と言われています。
かつては生活道として、多くの人が往来していたのでしょう。
過去から伝えられてきた、失いたくない風景であり、先人の努力を追体験できる場所でもありました。
新しい道路が整備され、さらに大きな高速道路が整備される今、
過去から現在まで伝えられてきたこの風景・景色を未来にも伝えていきたいなと思うのでした。
野田村も、まだまだ知らない風景があるなぁ。
さて、家に帰ったら手洗い・うがいを忘れずに

この記事が気になりましたらお気軽にコメントやシェアしていただければ幸いです。
野田村観光協会Facebookページはこちら
関連記事
- 発掘現場にいくの巻~野田村・伏津館跡 - 2014年7月18日
コメントする