“三陸ジオパーク” 野田村

みなさん、「ジオパーク」をご存じですか?
聞いたことはあるけれど、詳しくは分からない・・・という方も多いのではないでしょうか。


さる1月29日(水)、国民宿舎えぼし荘で行われた野田村商工会女性部新春セミナーにて「ジオパークとは」をテーマに講演が行われ、ジオパークについて学んできました。
講師の北三陸大地の恵み・ジオパーク推進連絡会 会長 梶田民夫氏

info01ジオパークって何?
「ジオ」とは地球や大地を表す言葉。そして「ジオパーク」とは、大地の成り立ちから現在までの地形や地質、歴史、動植物、人の暮らしを含めた、地球活動の歴史を主な見どころとする自然の中の公園です。

日本には「三陸ジオパーク」を含むジオパークが32地域あり、そのうち6地域が世界ジオパークとなっています。(現時点)

※世界ジオパーク・・・ユネスコが支援する「世界ジオパークネットワーク(GGN : Global Geoparks Network)」の審査を受け、加盟を認定された地域。
日本ジオパーク・・・日本ジオパークは、GGNとは別に、日本ジオパーク委員会の認定を受けた国内版のジオパークです。


ジオパークは地質に関する自然遺産を保護するだけでなく、教育や地域の活性化に活かしていこうとする点で、主に保護を目的とする「世界遺産」と異なります。また場所だけでなく、そこで行われている活動(例えば教育プログラム、ガイド養成、地域振興策など)や、運営組織も重視されています。



info01ジオパークに認定されるメリット
ジオパークの目的は、その認定を活用して地域を活性化させることにあります。
ジオパークに認定されるということは、地形や地質などの自然の魅力に”お墨付き”をもらうことになるので、観光客が訪れるきっかけとして期待されます。

またもう一つの効果として、地元の自然の魅力を見つめ直そうという動きにつながるという点もあります。地域の自然を知り、過去の災害を知り、その教訓を後世に伝えていく上で、ジオパークというしくみを活用した地域防災教育は非常に大きな意味を持ってくるものと期待されます。



info01三陸ジオパークとは
2013年9月に日本ジオパーク委員会より認定され、青森県八戸市から岩手県、宮城県気仙沼市までの沿岸全16市町村で構成される日本最大のジオパークとして誕生しました。
三陸の大地は地球史を語る上で欠かすことのできない、およそ5億年前まで連続的に遡れる大地の記憶が眠る場所です。

三陸ジオパークでは、地球の活動によって形成されたさまざまな自然の造形や、歴史、文化など、全体で130ヶ所のジオポイントが設けられました。北山崎(田野畑村)、龍泉洞(岩泉町)、浄土ヶ浜(宮古市)などの景勝地や、橋野高炉跡(釜石市)などその土地の自然と文化のつながりがわかるもの、そして東日本大震災津波の被害の大きさを物語る場所。三陸地域には、壮大なスケールでジオ(地球)を体感できる場所がたくさんあります。


info01野田村のジオパークの見どころ
野田村には、「十府ヶ浦」「野田玉川鉱山跡」「塩の道」の3つのジオポイントがあります!!


1.十府ヶ浦
☆観察のポイント☆ 紫色の「小豆砂」、8,500万年前頃の琥珀や海の生物など、特有の地質が、平安の歌人にも愛された風光明媚な海岸線を作り出していることを、実際に歩きながら確認する

「道の駅のだ」から車で3分程。三陸復興国立公園の中に位置する、野田村の景勝地です。
海岸の南側にある米田海岸(土内地区)には、8500万年前の白亜紀後期の久慈層群玉川層の地層があり、海生動物の化石や牡蠣化石の密集層も確認されています。


米田・土内地区周辺で育った方が、「子どものころ近くの山に行って土を掘って遊んでいたら、確かにオレンジ色の石が出てきたな~。小さい頃は琥珀だなんて思わなかったけど、今思うと琥珀だったんだね!」と話していました。

6月頃には、野田村の花である「はまなすの花」が見ごろとなります。
きれいなピンク色で、甘~い香りがします。



昨年12月3日、十府ヶ浦海岸の南端にある土内地区・国道45号沿いに、
「玉川・土内くんのこほっぱ跡のジオサイト解説板」という看板が設置されました。
これを設置した「くんのこほっぱ愛好会」さんは、三陸ジオパーク構想が始まる以前から、琥珀の歴史や文化を伝承するべく標柱を設置していました。
しかし東日本大震災での津波により流失し、「三陸ジオパーク」が日本ジオパークとして認定されたことを機に、琥珀の歴史や文化を内外に発信すべく、北三陸大地の恵み・ジオパーク推進連絡会と共同し、新しくジオサイトの解説板を制作し設置されました。



「くんのこほっぱ」って何?
久慈地方の方言で、くんのこ=琥珀・ほっぱ=堀場、つまり琥珀の採掘場を意味します。
ご存じの方も多いと思いますが、久慈地方は国内最大の琥珀産地です!

琥珀といえば久慈市と思われがちですが、野田村の玉川・土内地区でも昭和初期から昭和33年頃まで琥珀が採掘され、軍需物資(塗料など)や医薬品の原料として出荷されていたそうです。
看板にも記載されている震災後のがれきの撤去作業中に発見された琥珀は、東日本大震災の大津波で崖の土や岩が崩れて流出されたものとみられています。




2.野田玉川鉱山跡
☆観察のポイント☆ 国内最大規模の層状マンガン鉱床を持つ鉱山を通して、白亜紀の大規模な火成活動と、それによってもたらされたジオの恵みを知る。
かつて日本有数のマンガン鉱床だった野田玉川鉱山。
明治38年頃から開発が進み、坑道は地下420m、総延長は28kmに及びます。
野田玉川鉱山の鉱床は、海のプランクトンの一種である放散虫の骨格などが深海に溜まってできた岩石(チャート)に、1億2千万年ごろ(中生代前期白亜紀)の火成活動でマグマが貫入した際、その熱でチャートが変形してさまざまな種類のマンガン鉱物が晶出したものです。

現在は閉山して、「マリンローズパーク野田玉川」として坑道の一部(約1.5km)を公開しています。
(※11月~4月下旬までは冬期休業中です!)

野田村はマンガンをふくむ「ロードナイト(バラ輝石)」とよばれる鉱物がとれることで有名です。深いピンク色の鉱物で、原石の中からわずか2千分の1に満たないものが宝飾品「マリンローズ」として加工・販売されています。



3.塩の道

多くの鉄山があり、鉄釜が入手しやすかったことから直煮での製塩が盛んになった野田村。
この塩の道を牛の背にのせ、内陸部の盛岡や秋田への運んだ道が「野田塩ベコの道」です。塩だけでなく、海産物や特産の鉄も運ばれるなど、三陸地域の経済を支えた交易路でした。

効率の良い塩田が瀬戸内などで盛んに開発される時代にもめげず三陸沿岸で直煮製塩が明治末期まで続けられた理由は、次の4つが挙げられます。
1、三陸はリアス式海岸であり、豊かな塩木山が海近くまでせまり、海水を汲みやすい。
2、九戸地方の砂鉄鉱山は、全国でも有名であり、鉄釜が安く手に入ったこと。
3、藩の多くは自給自足を原則として、製塩を奨励するのだが、南部藩の生産量は不足であった。
4、野田地方は、耕地も少なく冷害を受けやすく米の確保には製塩に頼ることが多かった。また村内6カ所で大きな鉱山が経営され、その飯米を得るために野田塩の必要があった。



ということは、このあたりは野田玉川鉱山などの鉱山が多くあり、そこで働く人も多かった。
しかし米があまり取れない地方なので、働く人達に食べさせるためにも直煮製塩を行い塩を作りそれを米に変えた。
その塩は、塩焚き用の木が多い山が近く、海水を汲みやすい十府ヶ浦海岸をはじめとする海岸で行われた・・・

と、すべて繋がっているわけですね!!







・・・というわけで今回の講演をお聞きして、野田村でも化石や琥珀が採れることを知りました。

また今まで何気なく見ていたものは、本当は長い長い歴史の中で出来上がったものなんだなぁと、改めて確認することができました。

そして、さらに、まだまだ発見されていないものがこの地に眠っているかもしれない!自然の壮大さを実感できる場所があるかもしれない!と感じました。



日本ジオパークに認定された「三陸ジオパーク」!!
目指せ、「世界ジオパーク」!!!  ですね。


「三陸ジオパーク」について詳しくはこちらをご覧ください!
http://sanriku-geo.com/

ブログをご覧いただきありがとうございました。
(あっこ)



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タグ:ジオパーク, ジオパーク, マリンローズパーク野田玉川, 三陸ジオパーク, 三陸ジオパーク, 十府ヶ浦, 十府ヶ浦

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