もやもや白い世界になっている野田村ですが...
今日もお勉強してきました!( ̄ロ ̄) ノ
村内なのですが、普段は立ち入れないところに特別に許可を得て入れていただき見学してまいりました。
なんの見学かと言いますと、岩手県立宮古水産高等学校さんが行っている
津波堆積物の研究・標本の作製です。
北海道大学名誉教授の平川理学博士のお話は私には少々難しかったですが、お陰様でガイドに役立ちそうです...!
ツナミタイセキブツとは!
津波が運んできた泥・砂・礫(れき)が沿岸にたまっていった砂層のこと。
自然が残した津波の記録です。
△段丘面の標高は約8 m 、段丘崖の高さは約5 m。一番上が現在なわけですが、一番下は7000年も昔の地層なんですって!
これだけの津波の記録を残している場所はなかなかないそうで、大変貴重なところだそうです。
後世に伝えるためにも、三陸ジオパークのジオサイトに登録され管理されれるといいですねー。
これは津波で流されてきた十府ケ浦海岸の玉砂利なのでしょうか...
調査して分かったこと!
この野田村の津波堆積物を調査してみたところ・・
7000年の間に13回以上もの津波の地層があったことが分かったそうです。
つまり、だいたい500年に一度は岩手県沿岸に巨大津波が押し寄せていたことになります。
「500年ならもう当分ないな!」と思ったあなた!それは巨大津波の話です。
ここ約100年の間に3回も津波が発生し犠牲者が出ています。
(チリ地震が55年前、昭和三陸大津波が82年前、明治三陸大津波が119年前)
平川理学博士は「ここは北からも南からも来る大変な所。縄文の人も弥生の人も平安時代の人もみんな津波に襲われていて、先人たちはそれと上手に付き合ってきた。14メートルの堤防を作るとかそういうのは、現代の私たちの付き合い方ですね。6300年の中の2011年の津波があるということを知らなくてはならない」とおっしゃっていました。
なお、この地層を記録した標本は沿岸地区の小学校に寄贈するそうです。
「津波の恐ろしさを未来へ伝える碑石のように、この地層を減災教育につなげてほしい」とおっしゃっていました。
三陸の海の恩恵を受け、ともに生きる沿岸の人々だから、この教訓を未来に伝えていきたいですね!
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