野田村の景勝地である十府ヶ浦 海岸の名称の由来は、「村の歴史文化手帳」に記載されています。
その昔はこの海岸に“菅 ”が生育しており、
菅を乾燥させて編んだ「菅薦 」(むしろ)が作られていました。
菅を乾燥させて編んだ「
野田村の菅薦は名産として盛岡城下に送られたとされています。
菅薦は編目が10筋ありますが、“編 ”はその編み目を表します。
「10の編目」すなわち「十府の菅薦」と呼ばれていたことから、「十府ヶ浦」となったということですね。
・・・・
分かりにくい!
頭がこんがらがるので絵にしてみました・・。
「十府」=「むしろ」のことで、一言でいうとこのあたりは十府(むしろ)の名産地でそこから来た名前、ということですかね。
これは十府ヶ浦海岸沿いにある葦(あし)。
おそらく昔は、もっと長い立派な葦(菅)がたくさん自生していたということなのでしょうか。
おそらく昔は、もっと長い立派な葦(菅)がたくさん自生していたということなのでしょうか。
ちなみに「みちのくのとふ」という有名が歌枕があり、「十府」の付く場所は全国にいくつか存在するそうです。
みちのくの とふの菅薦 七編 には 君をしなして 三編 に我ねん
――藤原仲実の「綺語抄」、藤原範兼「和歌童蒙抄」 の中にある作者不詳の古歌
――藤原仲実の「綺語抄」、藤原範兼「和歌童蒙抄」 の中にある作者不詳の古歌
これは十府ヶ浦海岸にある句碑の歌。
そのまま読むと、女性が布団(むしろ)の7割ぐらいを使って、残り3割に俺が寝る。みたいに見えます(笑)実際はどういう意味なんでしょうね。
そのまま読むと、女性が布団(むしろ)の7割ぐらいを使って、残り3割に俺が寝る。みたいに見えます(笑)実際はどういう意味なんでしょうね。
現在の十府ヶ浦は海岸防潮堤の工事中で、まだまだ砂浜には降りられそうにありません。
防潮堤が12mから14mに嵩上げになりますが、その分浜へ降りる階段が接続されているようです。上の白いのが新しい階段です。
あ、砂浜に緑が見えます
ピンク色は村花の「ハマナス」と、紫色のはハマエンドウが咲いてるみたいですね!
降りたいな~。
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